2017年の第1回はサンフランシスコ阿波っ子連のゲンキ・ワタナベさんです。ゲンキさんは、カリフォルニア生まれの日系アメリカ人2世。いつもニコニコして、名前の通り元気な好青年。阿波っ子連のムードメーカー的存在です。昨年は来日し、生まれて初めて徳島の阿波踊りを生で見学し、非常に感動したそうです。東京へ訪問した際には、ちょうど8月の「おどれ高円寺 セシオン2016」での舞台演舞のゲネプロ(通し稽古)中だった新のんきの練習を見学し、舞台演舞が迫力があった興奮ぎみに語っていました。
中央の男性がゲンキさんです |
インタビューでは、彼が阿波踊りを始めるにいたった経緯や、今どのような心境で阿波おどりに取り組んでいるのかお聞きしました。どうぞお楽しみください。
自己紹介
インタビュー引き受けていただいてありがとうございます。簡単に自己紹介をお願いします。
名前はゲンキ・ワタナベです。アメリカ、カルフォルニア州で生まれ、サンフランシスコから南にあるサンタクルーズで育ちました。サンタクルーズには、小さい日本人街があります。6年前にサンフランシスコへ引っ越してきて、今は、阿波っ子連でコミュニケーションズ・コーディネータ(Communications Coordinator)をやっています。
コミュニケーションズ・コーディネータ(Communications Coordinator )ってどんな仕事ですか?
外部との調整役です。例えば、最近、San Francisco Ethnic Dance Festival という様々な国の民族舞踊のグループが参加するお祭りのオーディションに参加したんですが、その際は、連の代表としてイベント運営元と連絡を取り、何か変更あれば連に共有する仕事をやっていました。
へ〜、こんな楽しそうなお祭りあるんですね。さすが多民族な街ならではのお祭りですね。
母のルーツを求めて阿波踊りを始めた
ゲンキさんは、ぼくがサンフランシスコを離れた後(2015年10月)に入連したんですよね。いつどのようなきっかけで入連したんですか?
阿波っ子連には1年くらい前に入連しました。母親が徳島出身なので、母のルーツである徳島とつながりたい思っていたからです。母は一人っ子で、ぼくは父親の名字を継いでいるので、母の家族に由来した何かを受け継ぐ方法を探していました。阿波踊りが、母の家族の文化を受け継ぐ一番いい方法じゃないかと思ったんです。
なるほど、徳島に家族のルーツがあったんですね。ということは、連に入る前から阿波踊りは知っていたんですか?初めて見たときはどう思いました?
連に入る前は、阿波踊りについて、それほど知っていたわけではないんです。一番最初の阿波踊りの思い出と言えば、8〜9歳くらいの時です。母方の祖父がカルフォルニアに遊びに来てくれた時、祖父がリビングルームで踊りを披露してくれたんです。その時、ほとんど日本語を話せなかったので、踊りを見た印象を祖父に全く説明できませんでした。でも、祖父の踊りが見れて本当に嬉しかったのを覚えています。楽しそうだったので、妹を誘って祖父と一緒に踊りました。
孫に文化を継承してもらいたかったんでしょうね。情景が目に浮かびますね ^^
最近の阿波っ子連の活動について
最近の阿波っ子連の活動について教えてもらえますか?特に印象に残ったことはありますか?
一番最近の活動は、2017年6〜7月に開催される San Francisco Ethnic Dance Festival のオーディションです。このオーディションには、サンフランシスコ・ベイエリア全土から70組が参加しています。(筆者注:まだオーディションの結果は未公表)
オーディションの後は、4月の第50回北カリフォルニア桜祭りに向けてメンバーの募集活動をやっています。
オーディションの後は、4月の第50回北カリフォルニア桜祭りに向けてメンバーの募集活動をやっています。
昨年の桜まつり。地元で人気者です。 |
一番印象に残っているのは、昨年の桜まつりのグランドパレードです。徳島の阿波踊りと比べると、サンフランシスコはとにかく坂が多くて、パレードの距離が長い(約1km)ので、阿波踊りをやるのはかなり大変です ^^; この1年でうちの連もかなり上達したので、今年の出演を非常に楽しみにしています。
SF名物、踊り子泣かせな地獄の坂道 |
いいですね。サンフランシスコの地獄の坂道、、覚えてます。。。^^; 大変だけど、絶対に楽しい出演になりますよね。応援してます。
徳島の阿波踊りは本当にamazingだった
昨年の夏は、徳島に来て初めて阿波踊りを見たんですよね。どうでしたか?
徳島の阿波踊りは本当にすごかったです。初めて参加したのですが、今年からは毎年行こうと思っています。特に印象に残っているのは、鳴り物です。サンフランシスコ阿波っ子連には、大太鼓が1名、締太鼓が1名しかいません。徳島の阿波踊りでは、大太鼓と締太鼓がものすごい多くいるから、踊っている時に、文字通り体の中までドラムのビートを感じられるようでした。にわか連(観光客が参加できる連)に2日間参加できて、とても楽しい人達とも会うことができました。にわか連の高張り提灯も持たせてもらえて、にわか連の皆を先導することもできました。
にわか連は、観光客が気軽に参加できるのが、いいですよね。ぼくも連に入る前は何度か友達と参加しました。
通し稽古中の新のんきの練習を見学
昨年の夏は、東京にも来て、新のんきの練習も見学しに来てくれましたよね。ちょうどセシオンの舞台の通し稽古をやっている最中でした。どんな印象でしたか?
新のんきの練習を見れたのは本当に素晴らしい経験でした。あんなに組織だって練習しているグループを見たのは初めてだし、大勢の鳴り物と一緒に練習するのも初めてでした。皆さん、すごい練習に集中していたし、子供達の踊りが非常に上手いのに驚きました。
喜んでもらえて良かったです^^
将来は阿波踊りを通じた日米の文化の橋渡しになりたい
最後の質問です。将来どんなことをやってみたいと考えていますか?阿波踊りに関連した目標あれば教えてください。
今年日本に引っ越しして、数年間は、日本で英語の教師として働く予定です。もっと上手い踊り子になるため、余暇の時間に阿波踊りを学びたいと思っています。そして日本で学んだことをサンフランシスコ阿波っ子連に持ち帰りたいと思っています。
将来は、阿波踊りを通じて日本とアメリカの文化交流を担っていきたいですね。
すごい、いい目標ですね。観光客として阿波踊りに参加するのと、連のメンバーとして参加するのでは見える風景も全然変わってくると思います。日本での活動もがんばってくださいね。活躍を期待しています。本日はありがとうございました。
おわりに
以前、ブログにも書きましたが、筆者が大人になってから阿波踊り連に入ったきっかけは、赴任先のサンフランシスコで偶然阿波踊り連(サンフランシスコ阿波っ子連)を見つけて活動したことです。ぼくが在籍した1年くらいの間に、日本人中心の連から現地のアメリカ人やその他の外国人の若者主体のグループに様変わりしていくのを目にしました。ぼくが日本に帰った後も、ゲンキさんのような現地の若者が参加して、日系コミュニティを盛り上げているようです。
サンフランシスコ阿波っ子連連長の理美子さんを始め、サンフランシスコに移住した日系移民達が和太鼓や阿波踊りといった日本の民族音楽や舞踊を現地に伝え、それをゲンキさんのような次の世代の若者が受け継がれていくことで、アメリカに日本の伝統文化が定着していきつつあります。日系コミュニティの文化はサンフランシスコでもかなり人気があり、日本人・日系人以外の方も多数参加しており、自分たちの文化をミックスさせていくことで、独自の文化を発達させています。
ベースボールが日本に伝わり、野球として独自の発達を遂げたように、阿波踊りもアメリカのAWAODORIとして独自の発展を遂げそうな予感がします。その発展の様を日米の橋渡しの人たちとともに見届けていきたいなと思いました。