2016年4月6日水曜日

サンフランシスコ転勤をきっかけに踊り始める

連載「僕が東京新のんき連に入ったわけ」では、男踊りのにっしゃんが東京新のんき連に入った経緯について書いています。

連載第1回「阿波踊りに興味を持ったきっかけは 国際交流!?」は、そもそも阿波踊りに興味を持ったきっけについてご紹介しました。連載第2回の本記事では、東京新のんき連に入連する以前に、サンフランシスコへ転勤した際に 現地の阿波踊り連 に参加し、日系のお祭りへ出演するようになった話をご紹介したいと思います。

多国籍なサンフランシスコの職場に転勤


ゴールデン・ゲート・ブリッジには10回くらい行った
僕の会社には、語学習得や海外の商習慣を理解する目的で、海外のパートナーへ1年間出向して働くというわりと珍しい制度があります。

入社時から「ソフトウェアエンジニアになったからには、いつか聖地シリコンバレーで働いてみたい!」と思っていたので、その研修制度に申請し、アメリカへ行きたいと必死にアピール。見事、取引先であるサンフランシスコ(広義のシリコンバレーの北端)のソフトウェア企業に2013年10月から1年間出向し、その会社が日本に販売しているソフトウェアの開発に参加することになりました。

渡航直後に職場で誕生日パーティ
私が所属していた開発・品質保証のチームは、ロシア・東ヨーロッパ・中東出身の外国人が多く、白人やアラブ人が多い職場でした。知り合いに「日本人」がいない人が多かったせいか、日本人が来たぞと興味を持って、世間話をしに来てくれる同僚が多くいました。若者の同僚とは子供のころにやったアニメ・ゲームなどの話題や最近アメリカで人気のあるドラマの話、おじさん・おばさん世代とは日本の歴史・文化・観光地の話をしたりしました。昼飯食べたり、仕事後に飲みに行ったりして、職場に馴染んでいきました。

アメリカに来たというのに、生粋のアメリカ人の方がむしろ少数派だという^^; アメリカでも最も多国籍なサンフランシスコらしい職場生活が始まり、毎日会社に行くだけで、わくわくどきどきする生活が始まりました。

海外に行ったからこそ日本に関係することしたいと阿波踊り連に入る


今までとは違った生活にドキドキ・ワクワクしていたのもつかの間。自分で希望してアメリカに来たとはいえ、日本と離れた場所に1年いる・・・という事実に少し寂しい気分になってきました。気軽に日本語が話せる日本人の友達もほしいし、日本に興味を持っているアジア系の友達もほしい。

そういえば、大学生の頃に留学生を連れて、徳島市の阿波踊りを見に行ってたことを思い出しました。日本の文化の中でも自分のルーツに関係あることをアメリカの子と一緒にできたらいいなと、考え始めました。そんな時、ふとGoogleに「サンフランシスコ 阿波踊り」と入力してみました。なんと「サンフランシスコ阿波っ子連」のWebサイトが見つかりました。サンフランシスコにも阿波踊り連があるのです。しかも、練習場所は家から歩いて行ける距離にある事がわかったのです。「わーほんとにある!これは参加しよう!」と思い、早速、連長さんにメールして、練習に参加させてもらうことにしました。

日系居酒屋2階で練習!
いざ練習に参加してみると、思ったより人が少ないことに気づきます。しかも、どうやら参加者の主体はアメリカ人と結婚し、アメリカへ移住した日本人の奥様達でした。当初の期待とは少し違ってはいたけど^^; 「徳島出身の男の子が入連してくれたよ!」と大歓迎され、心地よい居所ができたし、まあいいかと思いました。

練習後、連長さんと世間話していると「日系スーパーにチラシを出してもなかなか人が集まらないのよね。4月には桜祭りに出演するんだけど、もう少し踊り子さんやお囃子がいたらいいんだけどね。」ともらしていたのです。

僕自身は、「日本人の数自体も少ないし、アメリカの連なんだからアメリカ人の連員を増やした方がいいんじゃないのかな。」と思いました。でも、どうやってアメリカ人に阿波踊り連に入ってもらえるのか。その時に、会社の先輩に「サンフランシスコでは個人がイベントを告知できる meetup というウェブサイトが流行っているよ。若い人は、自分たちで趣味のイベントを運営して、趣味が同じ友達を作ってる」と教えてもらったのを思い出しました。

meetup.comを見てみると、各国のコミュニティがあり、日本語の練習をするコミュニティに1000人近く登録していることも分かりました。そこで日本語コミュニティの代表に連絡し、阿波踊りの練習の告知をさせてもらうことにしたのです。「日本に400年も続く伝統的な踊りがあるよ。簡単で楽しいよ。一緒に踊ってみませんか?笛や太鼓など楽器もやれるよ!」

ネットを活用し現地のアメリカ人を阿波踊りに勧誘!


2014年4月 新連員と桜祭り出演
告知はしたものの、実は見学者は現れないだろうと思っていました。聞いたこともない日本の民族舞踊の練習の告知を見て、参加しようと思う人がいるとはなかなか思えなかったのです。

ところが、練習に行ってみると、テキサス州出身だという背の高い白人の男の子が見学に来ました。「子供の頃から日本のアニメやゲームを見てて日本に興味あるんだ。お祭りに興味あって、日本のフルートを習ってみたい」というのです。本当に来たんです。

やったと意気揚々として、翌月、練習に行くと、今度は、台湾系移民2世の女の子が太鼓したいと見学に来ました。その翌月はベトナム系移民2世の男の子、さらに徳島でJET(日本の中学高校の英語補助教員)をやっていた阿波踊り経験者の男の子も見学に来たのです。こうなると連に入った子がお友達を練習に連れてくるようになり、練習場所が手狭になるくらい若い人が練習にやってくるようになりました。

夏はユニオン・スクエアでのお祭りに出演
徳島で体育の時間に阿波踊りを練習していた程度の僕ですが、現地の子に英語で阿波踊りの所作を教えなくてはいけなくなり、非常に苦労しましたが、思ってもみない展開に非常に高揚した気分になりました。

連も活気づいてきて、春は Japan Town での桜祭り、夏は Union Square での J-POP Summit Festival、秋は日系のチャリティイベントなど人が集まる大きなイベントでの出演もこなし、連の一体感も増してきました。

うどんの打ち方も教えた^^
阿波踊りの仲間とは、阿波踊りの練習や出演を通じて仲良くなり、阿波踊りの日以外も一緒に旅行したり、誰かのお家でパーティをしたり、日本語と英語の language exchange (お互いに言葉を教え合う)をやったり、いろいろな活動を共にやるようになりました。

僕が偶然にもサンフランシスコで阿波踊り連を見つけ、練習の告知をしなければ出会っていなかった人達とこれだけ仲良くなった偶然の面白さや、一緒に練習やお祭りで踊ることで国籍や母国語を超えて強い絆が作れる阿波踊りの凄さも感じました。

(自分の国の文化を持ち込んできた移民の子がたくさんいるので、違う国の文化に参加する心理的ハードルが低いのがサンフランシスコっ子の良いとこです)

ついに帰国の時期、日本でも阿波踊りをやろうと決意する


あまりにもサンフランシスコに馴染みすぎて、ついには第2の故郷のように感じるようになりました。研修の期間は終わりを迎え、仕事も成果が出て一段落したところで、日本に帰国することになりました。阿波踊りの仲間にもう日本に帰らないといけないよと伝えると、「えーアメリカ人と結婚してサンフランシスコに残ってよ!」と冗談まじりに言われました。うん、居心地も良いし、それも悪くないと思いましたが^^; いやいや、ビザが失効するし、日本が故郷だし、温泉も入りたいし、美味しい日本食も食べたい、やっぱ日本に帰ろう。

阿波踊り仲間の送別会
日本に帰る時にいくつか決意しました。

「日本に帰ったら阿波踊り連に入ろう。今度、サンフランシスコの仲間と一緒に踊る機会があったら、ちゃんと本物の阿波踊りを教えられるように練習しよう。徳島と高円寺のお祭りで踊って、本物の阿波踊りってどういうものかちゃんと伝えられるようになろう。」

そう決意して、送別会で阿波踊り仲間に別れを告げて、東京に戻ったのでした。

(つづく)