2017年3月28日火曜日

飛び出せ!世界のAWAODORI 2017 海外の踊り子さん特集〜アダム・バターワースさん(サンフランシスコ阿波っ子連) 〜

海外(主に北米)で活躍されている現地の踊り子さん・鳴り物さんを紹介する好評企画「飛び出せ!世界のAWAODORI 」2017 年第 2 回は、第 1 回に引き続き、サンフランシスコ阿波っ子連で男踊りとして活動されている米国人男性 Adam Butterworth(アダム・バターワース)さんをご紹介します。

青の着流しがかっこいいアダムさんです

アダムさんは、筆者が阿波っ子連に所属していた折にインターネット上に掲載した連員募集の広告を見て(昨年のブログ記事参照)、練習を見学しにきてくれたメンバーの一人です。日本に少し興味があって練習を見学しに来てくれたのかなと思っていたところ、いきなり華麗に踊り始め、「徳島で英語教師として働いていました」と日本語で自己紹介してくれたことに、非常に驚いたのを覚えています ^^

当時から踊りの技能面で連を引っ張る存在でしたが、筆者含め、仕事でサンフランシスコに来ていた若い日本人の連員が帰国してしまった後、連の若手リーダー的存在として活躍されています。

それではアダムさんのインタビューをお楽しみください。

JETの英語指導助手として徳島に滞在


インタビューを引き受けていただきありがとうございます。簡単に自己紹介をお願いします。

名前は Adam Butterworth です。ニューヨーク州内のニューヨーク市から北へ 3 時間ほど離れた街で育ちました。大学卒業後、2009 年に JET プログラム(海外の青年を外国語指導助手として招聘する事業)を利用し、徳島で 2 年ほど英語教師の仕事をしました。アメリカに戻ってきてからは、IT 業界でデザイナおよびエンジニアとして働いています。サンフランシスコには 3 年ほど住んでおり、インターネット TV サービスの運営会社で働いています。サンフランシスコ阿波っ子連では、男踊りを担当している他、新人に阿波踊りの基本からもう少し複雑な踊りまで教えたりしています。

JET の先生として日本で働きながら滞在できるのって良い経験ですよね。どうして日本に行こうと思ったんですか?

日本に興味を持ったきっかけは、高校生の頃に実家が日本人の交換留学生をホームステイ先として受け入れたことです。その時、日本のことに興味を持って大学では日本語を勉強しました。

ちょうど母校が日本の大学へ交換留学プログラムを持っていたので、そのプログラムに参加し、金沢工業大学に留学しました。日本人の友達と非常に楽しい経験ができて、もう少し日本に滞在したいと考えるようになりました。

その時、JET プログラムの存在を知り、応募しました。派遣先としては、留学先の石川県や、ホームステイで実家に滞在した友達の故郷である静岡県を希望しましたが、残念ながら両方共とも受け入れ先が見つかりませんでした。ただ、日本の地域コミュニティを身近に感じたいと思っていたので、「田舎の方でお願いします」と伝えたとこと、徳島県の三野町に受け入れが決まりました。

ということは、徳島に派遣されたのはたまたまだったんですね。その当時は徳島のこと知っていたんですか?

徳島に行く前にたくさん調査しました。かずら橋や吉野川についても色々読みましたが、徳島では阿波踊りが一番有名であることを知りました。その時は、自分にとって新しいことだらけで、阿波踊りはそのうちの一つくらいの位置づけでしかなかったんですが、人生の大きな一部になるとは思いもしなかったです。


たまたま徳島に派遣されて、阿波踊りに出会って人生が変わったですね。すごい不思議ですね。

徳島赴任早々にいきなり祭りで踊りを披露!?


徳島での阿波踊りの経験について教えてください。最初に徳島で阿波踊りを見たときの印象はどうでしたか?

阿波踊りを初めて見たのは、JET プログラムの英語教師として徳島に派遣された 2009 年の 8 月です。ぼくを含めてだいたい 30〜40 人くらいのプログラム参加者と一緒にちょうど徳島に着いたばかりでしたが、15 分くらい阿波踊りを教わっただけで、いきなり演舞場に送り出されて、踊りを披露したんです!今から覚えば、ひどい踊りだったとは思いますが、多くの人が楽しそうにしているのを見て、非常に興奮したのを覚えています。

三野町で活動中のアダムさん

2009年であれば、もしかしたら、演舞場の近くですれ違っていたのかもしれませんね。徳島に住んでいた時はどのように阿波踊り連に参加したんでしょうか?

阿波踊り連に入ったきっかけですが、地域交流の一環で地元の消防団(市町村に設置される一般市民による消防機関)にも参加させていただいた際に、その消防団のメンバーの一人が、地元の阿波踊り連のリーダーだったので、ぼくに連を紹介してくれて、練習に誘ってくれました。

その時は、飲み会でべろべろに酔っ払ってたので、酔った勢いで「絶対に参加する!」と言ってしまったんですが、朝起きて正気に返ったら、「あ〜、何であんなこと言ったんだろう。踊りなんてできるわけないだろう」とひどく緊張しました。練習に行くのも少し怖いなとさえ思いました。

でも、誘ってくれた方が、1回は参加して入るかどうか決めてと言って聞かないので、逃げ道はないなと思って最初の練習に参加しました。なるべく踊りは避けて、鳴り物をやろうかと思いましたが、最初は絶対に踊りのステップから教えると言われたので踊りの練習を始めたら、意外にも阿波踊りが面白いと感じました。だんだん練習に参加するにつれて、緊張も溶けていき、阿波踊りも連も大好きになっていきました。

そのエピソードを初めて聞きました。失礼だけど少し笑っちゃいました^^ アダムさんも、今ではあんなに華麗に踊っているのに最初の出会いは意外にかっこわるい感じだったんですね。結局、徳島滞在中は阿波踊りをずっとやっていたんですか?

はい、結局、帰国するまでその連で2年ほど活動しました。
阿波踊り連に参加している間は、練習中に他の連員とたくさん話すようになったので、日本語もすごい上達しました。踊りについても、最終的には池田市と徳島市の演舞場で踊るようになり、かなり上達しました。
徳島滞在中の体験は、非常に素晴らしい経験をさせてもらいました。今でも三野町方とは連絡を取っていますし、阿波踊りが人生の大きな一部になりました。

素晴らしいですね。良い縁に恵まれましたね^^ 

徳島の阿波踊りはかけがえのない存在になった


昨年は、ゲンキくんと一緒に徳島の阿波踊りに参加してましたよね?久しぶりに徳島阿波踊りに参加してどうでしたか?

第1回で登場したゲンキくん(中央)とは仲良し

やはり徳島の阿波踊りは、自分にとってかけがえのない存在だと改めて感じました。皆、日本人は物静かで、シャイだなんて言うけど、そんなの嘘だ!祭りの時に街で感じるエネルギー、迫力のある鳴り物、皆が幸せそうにしているのが好きです。皆、親切だし、何にも縛られてなくて、自由な感じがします。上手に踊らないといけないとか、正しく踊らないといけないってプレッシャーもない。これが本当のお祭りだと感じています。

エネルギーに満ちた徳島いいですね

まあ、日本人は年中に真面目に働いて、祭りでハメを外すのが大好きですよね^^  日本人の地域社会に深く入り込んで、日本人の別の側面を見てもらえたのは嬉しいです。

連員募集広告を見てサンフランシスコ阿波っ子連に参加


サンフランシスコ阿波っ子連に入ったきっかけは、インターネット上に掲載した連員募集の広告を見たことでしたよね。その時のことを教えてもらえますか?

阿波っ子連に入ったのは 3 年前で、ちょうどサンフランシスコに引っ越してきた直後です。徳島に住んでいた時に阿波踊り連に所属していたので、ヨウヘイ(筆者のことです)がインターネットに掲載していた広告を見て、阿波っ子連を見つけた時は、「え!サンフランシスコに阿波踊り連があるの?これは参加しなくちゃ!」と思いました。すぐに公開練習に参加して、そのまま入連しました。

公開練習を始めたことで新人さんが増え始めた


最近の阿波踊り連での活動について教えてもらえますか?特に印象に残ったことや、これまでの活動の感想について教えてください。

阿波っ子連のメンバーがたくさん増えてきたこと、皆が非常に上達してきたことがうれしいですね。練習時のルーチンもうまくなってきました。最近は、出演時のパフォーマンスの練習をするグループと、新人さん向けの練習をするグループに分かれて、効率的に練習を運営しています。小さい舞台用、大きい舞台用にそれぞれ違うパフォーマンスも作っています。

そして一番良かったことは、新しい人向けに公開練習をやり始めたことです。数年前、日本人の主要メンバーが帰国したり、転勤で引っ越したりして、一気にメンバーが減ってしまい、パフォーマンスに十分なメンバーを確保できず、困っていました。そこで今年から無料の公開練習をやり始めて、興味を持ってくれた人に阿波踊りを教え始めました。それをきっかけに人がまた増え始めて、その他のベテランのメンバーと一緒に楽しく踊りを教えています。

ぼくと同時期に一斉に日本人メンバーが帰国したので心配していましたが、うまく現地の若者中心の運営に引き継がれていて安心しました

今後は大太鼓も上達したい

最後に今後の目標について教えてください。

最近の目標は、大太鼓を叩けるようになることです。徳島にいた時を含め、6年間、男踊りをやっていて、これまで鳴り物をやったことがありません。最近は、練習前と後に大太鼓で違うビートを鳴らしています。かなり楽しいですよ。

いいですね。踊り子と鳴り物を両方やるとお互いの気持が分かって良いってよく聞きますね。今後もリーダーとしてがんばってください!

おわりに


アダムさんは、筆者が米駐在当時に阿波っ子連の連員勧誘活動を始めた直後に入ってくれた方です。その当時、自ら勧誘活動をやっておきながら、アメリカではマイノリティである日本の伝統芸能のグループに興味を持ってくれるのは、日本人・日系人、よくて日系に親近感を持ってくれるアジア系くらいだろう、現地の白人の方はあまり興味を持ってくれないんじゃないかと変な先入観を持っていました(人種の違いに特に変な考えはありませんが)。その勝手な先入観を、新人らしからぬ滑らかな踊りと流暢な日本語でいきなり壊してくれたのが、アダムさんです。

アダムさんが仕事の都合で引っ越したサンフランシスコで、私が勧誘活動をしていたのもたまたまですし、そもそもご実家にたまたま日本人がホームステイで訪れたこと、JET プログラムの派遣先がたまたま徳島だったこと、参加した消防団に阿波おどり連のリーダーの方がいらっしゃったこと、いろいろな縁が重なって、アダムさんが阿波っ子連のリーダーになるまで阿波踊りにハマっていったことは非常に感慨深いです。

ただ、これは、単に偶然ではなく、アダムさん自身が新しいことにチャレンジする好奇心が強い点、そして色々な人を引きつける魅力があったからだと思います。今後のサンフランシスコの阿波踊りコミュニティが彼を中心に盛り上がっていくと思います。ぜひ楽しみに応援してください。

2017 年の本連載も第 1 回、第 2 回と男性が続きました。今年の本連載最終回となる第 3 回は紅一点、女性に登場いただこうと思います。おたのしみに。