2016年4月27日水曜日

日本へ帰国!そして入連先を探し始める

連載「僕が東京新のんき連に入ったわけ」では、男踊りのにっしゃんが東京新のんき連に入った経緯について書いています。

連載第2回「サンフランシスコ転勤をきっかけに踊り始める」では、東京新のんき連に入連する以前に、サンフランシスコへ転勤した際に現地の阿波踊り連に参加し、日系のお祭りへ出演するようになった話をご紹介しました。一人でアメリカの会社に出向し、知り合いは誰もいない環境だったので、阿波踊り連に参加したことで、プライベートで色々なお友達ができた点は非常に良い経験でした。

日本でも阿波踊り連に入ろうと決意した


サンフランシスコ阿波っ子連での送別会(泣)
サンフランシスコでの勤務が2014年10月に終わり、東京のオフィスに戻ることになりました。サンフランシスコ阿波っ子連の皆が開いてくれた送別会が終わり、実際に帰国するまでの間、今後の生活について考えている際に、ちょっとした決意をしました。

「また、サンフランシスコの仲間と一緒に踊る機会があったら、本物の阿波踊りを教えられるようになろう。徳島のお祭りで踊って、本物の阿波踊りってどういうものかちゃんと伝えられるようになろう。」

理想的には、サンフランシスコの仲間がお盆の時期に、僕の故郷である徳島の阿波踊りを見に来て、その時に僕が演舞場で踊っている姿を見せてあげるのがベストかなと思いました。これが日本で阿波踊り連に入連するにあたって描いた最初のゴールです。

入連先の連を探し始める


徳島の演舞場への出演は2015年夏に実現!
徳島のお祭りで踊っている姿を妄想してみましたが、しかし、特に阿波踊り関係に知り合いもおらず、一体どうやって連に入れば良いのかよく分からないことに気づきました。。。所属する企業や大学に連がある場合は簡単に入れそうに思えますが、それ以外の連はどういうルートで入っていくのか。。。大抵の人は家族か知人の紹介で入っていくのでは。。。

ここはもう悩んでもしょうがないし、正面突破するしかないと、高円寺阿波踊りの公式Webサイトに書かれている高円寺阿波おどり連協会所属連一覧から、1つずつ連のWebサイトを覗き、連員募集をしているかどうか?を確認しました。さらにYouTubeで連が出演した際の動画がないか確認もしました。そして練習を見学させていただく連をリストアップしていくにあたって、自分なりのチェックリストを考えました。

  1. 男踊りを希望していたので、男踊りの連員を募集しているかどうか?
    • 連によっては募集を閉めきっている場合もあります。
  2. 活発に活動しているか?
    • 練習や出演の回数は連によって大きく違います。
  3. 踊り、お囃子、衣装のスタイルが好みに合うかどうか?
    • 個人的にはオーソドックスの踊りを大事にしつつも、男踊りが躍動的な踊りをする連がいいなと思いました。
  4. 連員がおおよそ自分と同世代か?
    • 同世代の方が馴染みやすいと思いました。
  5. その連が徳島の阿波踊りに出演しているかどうか?
    • 高円寺の連は徳島の連と姉妹連となり、徳島の連に合流する形で徳島のお祭りに出演しているケースが一般的のようでした。

最後のポイントは、僕にとって非常に重要です。サンフランシスコの阿波踊り仲間がお盆に徳島へ遊びに来た時に、僕が演舞場で踊っている姿を見せてあげるには、徳島の阿波踊りに出演している連に所属している必要があります。

いざ、見学へ!


チェックリストができた段階で、見学させていただく連をリストアップしていきました。帰国したのが10月ですが、見学先の連のリストアップも10月中にやりました。年が明けると気持ちも萎えてしまうかもしれないので、見学先連のリストから順番に見学の依頼を出していき、11月中に5連ほど見学させていただくことになりました(色々見過ぎると逆に混乱するかもしれないので、これくらいに抑えました)。

よし、見学に行こう!さて、どんな風に練習しているのか?相性の良さそうな連は見つかるのか?ドキドキしながら見学に行くのでした。。。

つづく

2016年4月20日水曜日

せきまゆが高円寺に嫁ぎました。

はじめまして
東京新のんき連
女踊りのせきまゆです。
阿波おどり歴2年目、
新婚2ヵ月目のひよっこです(*´-`)

千葉県出身で阿波おどりとは無縁に過ごしてきました。
お祭りを観たこともありませんでした。

阿波おどりをはじめた当初、よく聞かれました。

なんで、独身アラサーがこのタイミングで阿波おどりなんてはじめたの?
フラダンスとか、料理教室とか、もっとOLっぽいモテそうな普通の趣味がいくらでもあるじゃん?

親、友人、初めての会った人、皆に聞かれました。そりゃあもうしつこいくらいに。

理由は?
ズバリ、なんとなく!

働きはじめてから色んな習い事をしました。
陶芸教室、木工教室、キャンドル教室、英会話…
どれもそれなりに楽しかったけど長くは続きませんでした。

やっぱり友達作るならスポーツの趣味かなぁ。
無難にテニス?
でも球技は苦手だしなぁ。
じゃあフラダンス?
うーん、同世代の女子の集まりっていうより、
老若男女でワイワイしてる方がいいな~♪
素敵な出会いもあったりして?笑


そうだ、阿波おどりをやってみよう!ピコーン!

そこで阿波おどり思いつかんやろ!
という総ツッコミは置いといて笑。

お祭りのお囃子のリズムには心が踊るし、
女踊りの衣装を着てみたいし、
ちょっと珍しい趣味、いいかも♪

とまぁ、ものすごーく軽い気持ちで始めました。

覚悟を決めて入連してきたみっしーとは大違い( ^ω^ )

軽い気持ちではじめてしまったので、
練習量と厳しさに恐れおののいた時期も有りましたが、
先輩のように格好よく色っぽく踊りたい!という一心で、日々練習に励んでいます。

そして先月、阿波おどりをはじめてから知り合った彼と結婚しました。
彼は阿波おどりをしない人ですが、
阿波おどりを楽しんでる私がキラキラしてて好きだとか。
棚ぼた的にいい出会いもありました♪

そんなこんなで(どんな?)、
新米新婚せきまゆ目線で、
阿波おどりの楽しみ方、魅力をお伝えしていきます。
よろしくお願いいたします!

次回は出演レポートを予定しています♪

2016年4月13日水曜日

小沢村から愛を込めて~第4回~

「検証:東京生まれ東京育ち阿呆な人はだいたい阿波踊り?」

東京新のんき連に参加して7年目になりますがそれより前の10年間くらいは観る阿呆専門でした。
確か1999年から2009年くらいまでかな?定かではないですが…主に高南通りで仲間と酒を呑みながら盛り上がってました。

特に阿波踊りの知識もなく連という言葉も知らないので「チーム」と呼んでましたね(笑)

そして衣装や踊りにもいろんな種類があるのはなんとなくわかりましたが派手でテンポの速い鳴り物が通るとギャーギャー大騒ぎしながら盛り上がってました。



そのうち観るだけじゃ我慢できなくなってきて 「どうしたらあっち側に行けるんだろう?」とやってみたい欲求を抑えられなくなってきたんですが周りに阿波踊りをやっている友人や知り合いはいなくぼんやりとですが東京生まれ東京育ちの高円寺在住か町内会のようなものに入ってる人しか参加できないんだろうか?と。
俺のような田舎者には一生無縁な世界なんだろか?とやけ酒を煽った時期もあります…というのは冗談ですが漠然と高円寺阿波踊りは「東京の人」がやるものだと思っていました。

が!その後自分にも阿波踊りをやるチャンスが巡ってくるわけですがその辺の詳しいエピソードは連長コラムで詳しく書かれていると思うのでそちらをご覧ください(http://renchoublog.tokyoshinnonki.com/)



ここで本題。

「東京の(高円寺の)阿波踊りは東京の人ばかりがやっているのか?」です。



結果が予想できる方はこの先をどうかあたたかい目で見守りください。



今回練習の合間に連の皆さんから生まれ育った土地を聞き取り調査しました。(お休みや休連中の方もいますのでタイミング的に聞けなかった方すみません!)



そして結果発表!










微妙な結果でした!(笑)

割合いでは確かに東京の方が多いですが東北から九州、そして本場徳島や韓国、フィリピン、ロシアまでかなり幅広いですね。



つまり
ちょっと大雑把ですが

「東京(高円寺の)の阿波踊りは世界中から集まった人たちで盛り上がってる」
でした!







以上の結果を踏まえここで急遽もう一つ検証!

よく言われている「東京の人は冷たい」という台詞は本当か?の結果はこちらです↓



「東京の人…というか住んでるのはだいたい東京以外の世界中からいろんな人が集まって来ているので冷たい人はどこ出身であろうが冷たいし東京生まれ東京育ちの人でもあったかい人は
たくさんいる」



です!(笑)





最終的に脱線した感も否めないですが今回のお話はここまで。

ではまた次回。

2016年4月6日水曜日

サンフランシスコ転勤をきっかけに踊り始める

連載「僕が東京新のんき連に入ったわけ」では、男踊りのにっしゃんが東京新のんき連に入った経緯について書いています。

連載第1回「阿波踊りに興味を持ったきっかけは 国際交流!?」は、そもそも阿波踊りに興味を持ったきっけについてご紹介しました。連載第2回の本記事では、東京新のんき連に入連する以前に、サンフランシスコへ転勤した際に 現地の阿波踊り連 に参加し、日系のお祭りへ出演するようになった話をご紹介したいと思います。

多国籍なサンフランシスコの職場に転勤


ゴールデン・ゲート・ブリッジには10回くらい行った
僕の会社には、語学習得や海外の商習慣を理解する目的で、海外のパートナーへ1年間出向して働くというわりと珍しい制度があります。

入社時から「ソフトウェアエンジニアになったからには、いつか聖地シリコンバレーで働いてみたい!」と思っていたので、その研修制度に申請し、アメリカへ行きたいと必死にアピール。見事、取引先であるサンフランシスコ(広義のシリコンバレーの北端)のソフトウェア企業に2013年10月から1年間出向し、その会社が日本に販売しているソフトウェアの開発に参加することになりました。

渡航直後に職場で誕生日パーティ
私が所属していた開発・品質保証のチームは、ロシア・東ヨーロッパ・中東出身の外国人が多く、白人やアラブ人が多い職場でした。知り合いに「日本人」がいない人が多かったせいか、日本人が来たぞと興味を持って、世間話をしに来てくれる同僚が多くいました。若者の同僚とは子供のころにやったアニメ・ゲームなどの話題や最近アメリカで人気のあるドラマの話、おじさん・おばさん世代とは日本の歴史・文化・観光地の話をしたりしました。昼飯食べたり、仕事後に飲みに行ったりして、職場に馴染んでいきました。

アメリカに来たというのに、生粋のアメリカ人の方がむしろ少数派だという^^; アメリカでも最も多国籍なサンフランシスコらしい職場生活が始まり、毎日会社に行くだけで、わくわくどきどきする生活が始まりました。

海外に行ったからこそ日本に関係することしたいと阿波踊り連に入る


今までとは違った生活にドキドキ・ワクワクしていたのもつかの間。自分で希望してアメリカに来たとはいえ、日本と離れた場所に1年いる・・・という事実に少し寂しい気分になってきました。気軽に日本語が話せる日本人の友達もほしいし、日本に興味を持っているアジア系の友達もほしい。

そういえば、大学生の頃に留学生を連れて、徳島市の阿波踊りを見に行ってたことを思い出しました。日本の文化の中でも自分のルーツに関係あることをアメリカの子と一緒にできたらいいなと、考え始めました。そんな時、ふとGoogleに「サンフランシスコ 阿波踊り」と入力してみました。なんと「サンフランシスコ阿波っ子連」のWebサイトが見つかりました。サンフランシスコにも阿波踊り連があるのです。しかも、練習場所は家から歩いて行ける距離にある事がわかったのです。「わーほんとにある!これは参加しよう!」と思い、早速、連長さんにメールして、練習に参加させてもらうことにしました。

日系居酒屋2階で練習!
いざ練習に参加してみると、思ったより人が少ないことに気づきます。しかも、どうやら参加者の主体はアメリカ人と結婚し、アメリカへ移住した日本人の奥様達でした。当初の期待とは少し違ってはいたけど^^; 「徳島出身の男の子が入連してくれたよ!」と大歓迎され、心地よい居所ができたし、まあいいかと思いました。

練習後、連長さんと世間話していると「日系スーパーにチラシを出してもなかなか人が集まらないのよね。4月には桜祭りに出演するんだけど、もう少し踊り子さんやお囃子がいたらいいんだけどね。」ともらしていたのです。

僕自身は、「日本人の数自体も少ないし、アメリカの連なんだからアメリカ人の連員を増やした方がいいんじゃないのかな。」と思いました。でも、どうやってアメリカ人に阿波踊り連に入ってもらえるのか。その時に、会社の先輩に「サンフランシスコでは個人がイベントを告知できる meetup というウェブサイトが流行っているよ。若い人は、自分たちで趣味のイベントを運営して、趣味が同じ友達を作ってる」と教えてもらったのを思い出しました。

meetup.comを見てみると、各国のコミュニティがあり、日本語の練習をするコミュニティに1000人近く登録していることも分かりました。そこで日本語コミュニティの代表に連絡し、阿波踊りの練習の告知をさせてもらうことにしたのです。「日本に400年も続く伝統的な踊りがあるよ。簡単で楽しいよ。一緒に踊ってみませんか?笛や太鼓など楽器もやれるよ!」

ネットを活用し現地のアメリカ人を阿波踊りに勧誘!


2014年4月 新連員と桜祭り出演
告知はしたものの、実は見学者は現れないだろうと思っていました。聞いたこともない日本の民族舞踊の練習の告知を見て、参加しようと思う人がいるとはなかなか思えなかったのです。

ところが、練習に行ってみると、テキサス州出身だという背の高い白人の男の子が見学に来ました。「子供の頃から日本のアニメやゲームを見てて日本に興味あるんだ。お祭りに興味あって、日本のフルートを習ってみたい」というのです。本当に来たんです。

やったと意気揚々として、翌月、練習に行くと、今度は、台湾系移民2世の女の子が太鼓したいと見学に来ました。その翌月はベトナム系移民2世の男の子、さらに徳島でJET(日本の中学高校の英語補助教員)をやっていた阿波踊り経験者の男の子も見学に来たのです。こうなると連に入った子がお友達を練習に連れてくるようになり、練習場所が手狭になるくらい若い人が練習にやってくるようになりました。

夏はユニオン・スクエアでのお祭りに出演
徳島で体育の時間に阿波踊りを練習していた程度の僕ですが、現地の子に英語で阿波踊りの所作を教えなくてはいけなくなり、非常に苦労しましたが、思ってもみない展開に非常に高揚した気分になりました。

連も活気づいてきて、春は Japan Town での桜祭り、夏は Union Square での J-POP Summit Festival、秋は日系のチャリティイベントなど人が集まる大きなイベントでの出演もこなし、連の一体感も増してきました。

うどんの打ち方も教えた^^
阿波踊りの仲間とは、阿波踊りの練習や出演を通じて仲良くなり、阿波踊りの日以外も一緒に旅行したり、誰かのお家でパーティをしたり、日本語と英語の language exchange (お互いに言葉を教え合う)をやったり、いろいろな活動を共にやるようになりました。

僕が偶然にもサンフランシスコで阿波踊り連を見つけ、練習の告知をしなければ出会っていなかった人達とこれだけ仲良くなった偶然の面白さや、一緒に練習やお祭りで踊ることで国籍や母国語を超えて強い絆が作れる阿波踊りの凄さも感じました。

(自分の国の文化を持ち込んできた移民の子がたくさんいるので、違う国の文化に参加する心理的ハードルが低いのがサンフランシスコっ子の良いとこです)

ついに帰国の時期、日本でも阿波踊りをやろうと決意する


あまりにもサンフランシスコに馴染みすぎて、ついには第2の故郷のように感じるようになりました。研修の期間は終わりを迎え、仕事も成果が出て一段落したところで、日本に帰国することになりました。阿波踊りの仲間にもう日本に帰らないといけないよと伝えると、「えーアメリカ人と結婚してサンフランシスコに残ってよ!」と冗談まじりに言われました。うん、居心地も良いし、それも悪くないと思いましたが^^; いやいや、ビザが失効するし、日本が故郷だし、温泉も入りたいし、美味しい日本食も食べたい、やっぱ日本に帰ろう。

阿波踊り仲間の送別会
日本に帰る時にいくつか決意しました。

「日本に帰ったら阿波踊り連に入ろう。今度、サンフランシスコの仲間と一緒に踊る機会があったら、ちゃんと本物の阿波踊りを教えられるように練習しよう。徳島と高円寺のお祭りで踊って、本物の阿波踊りってどういうものかちゃんと伝えられるようになろう。」

そう決意して、送別会で阿波踊り仲間に別れを告げて、東京に戻ったのでした。

(つづく)